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僧団に加わった親族の中に、いとこのアーナンダがいる。 アーナンダは、後にブッダに、常に付き添った者であり、おそらく仏教史上もっともよく知られた弟子のひとりである。 出家後最初の二十年間、ブッダは特定の侍者をもたず、いろいろな者がブッダに仕え…
ブッダのカピラヴァストゥ訪問中に家族の中から出たもう一人の有名な帰依者に息子のラーフラがいた。 彼は、ブッダが家を出たちょうどその時生まれた子である。 今や、七歳になるラーフラは、母ヤソーダラに、父ブッダが放棄した遺産を確保するために、近づ…
もう一つの話は、スニータという不可触民にまつわるものである。 彼の仕事は道路の清掃であり、これによって辛うじて生計を立てていた。 適当なねぐらもなく、スニータは自分が働く道ばたで寝泊まりしていた。 また、たまたま通りがかる身分の高いカーストの…
ウパーリやプンナと違って、僧団に加わった多くの者は貧しい下層階級の出身であった。 なかでもアウトカーストは、もっともの貧しく、下級であった。 彼らは、最上層階級のバラモンに近寄ることは固く禁じられていた。 今日でも、アウトカーストである不可触…
ブッダの教えに帰依する者には、いろいろな経歴を持ち、あらゆる環境からやって来た。 当時の人びとの目に映ったもっとも著名な帰依者のひとりは、ウパーリ(優波離)であった。 ブッダの時代と同じころ、ジャイナ教の教祖マハーヴィーラがいた。 ジャイナ教…
竹林精舎に六十戸の家を建てた商人の妹は、アナータピンディカという男に嫁いでいた。 アナータピンディカが、たまたま仕事でラージャガハにやって来た時、たいへんな騒ぎの最中であった。 料理人や召使いは、見るからに重要そうな行動をしており、準備に夢…
二人はまず、ラージャガハの近くに住む有名な師、サンジャヤの門をたたいた。 しかし、サンジャヤは二人が求める解答を与えることが出来なかった。 そこで、二人は、自ら瞑想し、どちらか最初にそれを見出した者が、もうひとりに教えようと誓い合った。 ある…
ブッダ教団が広がるもう一つの要因は、ある王の帰依である。 マガダ国のビンビサーラ王は、以前、ゴウタマに宗教生活をあきらめるよう説得した人物である。 旅の途中ブッダは、マガダ国の首都ラージャガハに到着した。 ブッダが都に来たことを聞いたビンビサ…
ブッダは、まず鹿園からウルヴェーラまで、ゆっくりと旅をした。 その途中、とある森で休もうとすると、たまたま一団の人々がそこで遊山を楽しんでいた。 三十人の男はそれぞれに妻を伴っていたが、その中に一人だけ、遊女を連れた者がいた。 この遊女は誰に…
五人の苦行者がブッダに帰依した後、僧団は急速に拡大した。 以前ブッダと共に修行した彼らが僧団生活に入ることに不思議はないが、その後は、そのような経験がない者達が、僧団に入ったことは注目される。 僧団では共通したルール(戒)が定められていた。 …
出家者が避けなければいけない両極端がある。 一つの極端は感情、愛欲のおもむくままに生活すること。 もう一つは、自分自身を痛めつける苦行である。 これらの二つはブッダが実際に経験したことであり、これらに変わる悟りへの実践が、八つの正しい道(八正…
ブッダは布教活動をはじめた。 まず初めに、かつて師であるアーラーラ・カーラーマの元に向かった。 しかし、アーラーラ・カーラーマはすでにこの世にいなかった。 また、ラーマの弟子のウッダカも亡くなっていた。 ついに、ブッダは五人の友に会いに鹿野園…
ブッダが悟りを得たときの瞑想の過程には四つの段階(四禅定)があったとされている。 第一は、欲望と不善を離れることにより、探求し、思惟しつつ、心を一点に集中する初善という段階である。 第二は、探求と、思惟という雑念を離れて、第二禅に入る。そこ…
ブッダが長年求めてきた目的に達する時がきました。 ブッダは、スジャータから供物を受け取ると、ネーランジャラー川へ行き、岸辺にその器を置いて、沐浴のために川に入りました。 それから、岸辺にもどって座り、膝の上に器を置くと、菩薩(ぼさつ・悟りを…
ひとり残されたブッダですが、その肉体は再び本来の黄金色をとりもどし、ブッダになるべき運命を示す三十二の特徴(三十二相)がはっきり現れるまで、体力が戻りました。 そのころ、そのあたりにスジャータという金持ちの娘が住んでいました。 彼女は、たま…
十分な師を得られなかった一行は、ウルヴェーラーという所にいたり、そこで、師の力を借りず、自力で悟りを開こうと決心しました。 肉体を痛めつける修行法は、これまで、多くの人々によって、各地で実践されているものでした。 彼は、まず節食(せっしょく…
ブッダと五人の仲間は、師を探しました。 まず、有名な師の一人、アーラーラ・カーラーマと呼ばれる者がいました。かれの目指す究極の目標は、ある段階の瞑想に達することです。それは、何も存在しないとする無の境地です。漢訳では、無所有処定(むしょ・う…
ブッダは、師を求めました。これは、苦からの解放を求める修行者の通例の行動です。 当時のインドは、多くの弟子を持つ教団がすでにありました。 有名な指導者として、六師外道(ろくし・げどう)がいます。 外道(げどう)という呼び名は、現在では良い響で…
漢文は、原漢文(げんかんぶん)といって、本来、点も、丸も、送り仮名も何も付いていません。 ですから、どのように読むかは、自身でマークを付けます。 たとえば、三番目にある漢字の次に、二番目にある漢字を読む場合は、 レ点というものを付けます。 こ…
漢文は、主語がなくても成立します。 例えば、 千慮一失(どんな立派な賢者でも、一度ぐらい間違いがある) とありますが、これは、「千慮に一失あり」と読んで、「千慮に」は主語ではなく、副詞です。ですから、この文に主語はありません。 私たちは英語の…
どうも、『日本書紀』の謎を解くには、音博士という当時の言語学の先生がキーワードのようです。 私たちが、外国語を学ぶとき、読む、聞く、話すが修得できることを目的とします。 英検などもそうですね。 この中の、「読む」ときには、訓点というものがあっ…
一番、大事なことを書くのを忘れていました。 この本は、『日本書紀』の内容を三つに分類出来ることが書かれています。 つまり、別々の作者がいて、一人で書かれたものではないということを書いています。 著者は、『日本書紀』全三十巻を、β郡、α郡、巻三十…
『日本書紀の謎を解く』を読み終えました。 いや〜最高でした。めちゃめちゃ勉強になりました。 聖徳太子の勉強で、『日本書紀』を読むのですが、「何でこんな読み方するの?」とずっと疑問に思っていました。 厩戸豐聰耳皇子(うまやどの・とよとみみの・み…
王子は、さすらいの旅を始めました。 このような人は、当時のインドでは珍しくないそうです。 王子は、食べ物を乞い、どこにでも寝泊まりするごく当たり前の修行生活に入りました。 人々は、王子を、聖者、苦行者、また、王子をよく知る人は、ガウタマと姓で…
王子が侍者チャンナと共に、カピラ城を静かに抜け出したのは、真夜中のことでした。 王子は、はじめて、立ち止まり宮殿を振り返りました。彼が生まれ育った地のすべての知人や肉親が住む宮殿は、月明かりの中に寝静まっていました。 夜通し馬を走らせ、ふた…
シュッドーダナ王は、ブッダを引き留める最後の手段として、孫ラーフラの誕生を祝う華やかな祝宴を用意しました。 国中から、歌手や踊り子が招待され、この上ない豪華な食事が用意されました。 夜がふけるにつれて、王子はうたた寝を始めました。 やがて踊り…
沙門を見て感動した王子は、今度は、宮殿に戻らず、物思いにふけりながら馬車を走らせ、旅の目的地にしていた遊園にたどり着きました。 そして、考えました。 「私は、あの苦行者のようにならなければならない。今日、この日、私も出家しよう。 そして、うわ…
第四のサインで出会った苦行者、つまり、沙門(しゃもん、シュラマナ、śramaṇa)は、前にお話ししたカースト制であるバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシュヤ、シュードラの四つに含まれません。 沙門(しゃもん)は、当時の新しい形の宗教家・自由思想家たち…
ブッダはついに最後のサインに出会います。 四度目の旅は、絶望的ではありませんでした。 剃髪(ていはつ)した男が、柔らかい朝日に輝くオレンジ色の衣をまとい、鉢を手にして素足で立っていました。 その表情は、今まで見た人達と違い、穏やかで、物思いに…