天台太子

聖徳太子と天台宗のお勉強

ブッダ物語31  舎利弗、目連の入団

二人はまず、ラージャガハの近くに住む有名な師、サンジャヤの門をたたいた。

しかし、サンジャヤは二人が求める解答を与えることが出来なかった。

そこで、二人は、自ら瞑想し、どちらか最初にそれを見出した者が、もうひとりに教えようと誓い合った。

ある朝、ウパティッサ(シャーリプトラ)は、ラージャガハの大通りで、苦行者らしき人が鉢を持って家から家へ物を乞いながら回っているのを見かけた。

その人の表情は、あたかも澄み渡った空の下のなめらかな湖水のように穏やかに見えた。

そして、苦行者が托鉢を終えるのを見て、市の城門を出て行こうとした時、ウパティッサは近づいてたずねた。

「どうか、あなたの師を教えて下さい」

実は、その苦行者とは、最初の五人の仲間の一人、アッサジであった。

彼は、ウパティッサに因果律(縁起)に関するブッダの教えを説いたとされている。

それに感動したウパティッサは、友のコーリタ(モッガッラーナ)の所へ行ってその経験を話した。


そして、二人はブッダのもとに行き、入団し、代表的な弟子となるのである。

ウパティッサ(舎利弗)は、智慧の優れた者(智慧第一)と呼ばれ、

モッガッラーナ(目連)は、不思議な力の持ち主(神通第一)と呼ばれた。

彼らは、ブッダ十大弟子と言われる者たちの二人である。

最初の雨季をベナレス近郊で過ごした後、僧団はビンビサーラ王が寄進した竹林の園(竹林精舎)で雨季を二、三度過ごした。

ブッダ物語30 ビンビサーラ王、舎利弗と目連1

ブッダ教団が広がるもう一つの要因は、ある王の帰依である。

マガダ国のビンビサーラ王は、以前、ゴウタマに宗教生活をあきらめるよう説得した人物である。

旅の途中ブッダは、マガダ国の首都ラージャガハに到着した。

ブッダが都に来たことを聞いたビンビサーラ王は、多くのお供えを持って彼を訪ねた。

王は、ウルヴェーラのカッサパが、今やブッダの弟子になっていることに驚いた。

これらのことから、当時のバラモン達がブッダ教団に脅威を抱き、敵対したことが予想される。

王はブッダに帰依し、後に、竹林の園(竹林精舎)を寄進している。

ブッダは、雨季の間、どこか気に入った場所を探し、瞑想にふけるのが常であった。

これを安居(あんご)、または雨安居(うあんご)という。

第一回目の安居は、はじめての説法の直後、五人の最初の弟子たちとともに過ごしている。

ブッダの代表的な弟子として知られる二人の男が帰依したのは、第七回目の安居の時であった。

ラージャガハの近くに、ウパティッサとコーリタという二つの村があった。

それぞれの村には、村と同じ名前の村長がいて、両家は大変親しかった。

ある日、ウパティッサ村長の妻のサーリーが男の子を出産し、コーリタ村長の妻のモッガリーも男の子を出産した。

ウパティッサの息子は、ウパティッサ、あるいは、サーリプッタ(サーリーの息子・舎利弗)と呼ばれ、

コーリタの息子は、コーリタ、モッガリプッタ(モッガリーの息子)、あるいは、モッガラーナ(目連)と呼ばれた。

幼い頃から、ふたりの少年は仲が良かった。

成長するにつれ、どちらも芝居に夢中になり、舞台で見るよりも、多くのことが人生にはあるに違いないと感じるようになった。

そして、二人は人生の真の意味を見つけるため、出家することを決意した。

 

 

 

ブッダ物語29 遊女とカッサパ三兄弟

ブッダは、まず鹿園からウルヴェーラまで、ゆっくりと旅をした。

その途中、とある森で休もうとすると、たまたま一団の人々がそこで遊山を楽しんでいた。

三十人の男はそれぞれに妻を伴っていたが、その中に一人だけ、遊女を連れた者がいた。

この遊女は誰にも気づかれずに連れの男の荷物を盗むと、逃げてしまった。

やがて、盗みが発覚し、皆は遊女を探しに出かけた。

あわただしく探し回っているうちに、木の下に座っているブッダに出会った。

これまでの出来事を説明し、遊女を見かけなかったかたとたずねると、ブッダは答えた。

「女性を探し求めるのと、自己を発見するのとではどちらが大事だと思いますか」

おそらく、この答えは意外であったに違いない。しかし、人びとは、自己の発見のほうが価値があると同意したのであろう。

遊女を探すのをやめて、ブッダの話に耳を傾けた。

やがて、全員がブッダの教えに帰依し、男たちは僧団に加わった。

また、ウルヴェーラには、有名な三人の聖者がいた。

その宗派の人びとは、特殊なやり方で髪を結(ゆ)っていたので、結髪の苦行者たち(結髪外道)と呼ばれた。

三人はカッサパと言った。

中でも有名なのは、ウルヴェーラのカッサパで、五百人弟子を従えていた。

他の二人は、ナーディー(川)のカッサパ、ガヤーのカッサパといい、それぞれ三百人と二百人の弟子を従えていた。

三人は弟子とともにブッダの教えを聞き、僧団に加わった。

ブッダ物語28 戒、ヤサの出家、僧団の拡大

五人の苦行者がブッダに帰依した後、僧団は急速に拡大した。

以前ブッダと共に修行した彼らが僧団生活に入ることに不思議はないが、その後は、そのような経験がない者達が、僧団に入ったことは注目される。

僧団では共通したルール(戒)が定められていた。

それは、具足戒(ぐそくかい)と言われ、男性修行者(比丘・びく)は二百五十戒、女性修行者(比丘尼・びくに)は、三百四十八戒が科せられた。

ちなみに、僧団に加わったばかりの見習い僧(沙弥・しゃみ)は、在家仏教徒が守るべき五戒に加えて、(1)装飾品や香で身を飾らないこと、(2)歌や舞踊を楽しまないこと、(3)広くて高い寝台で休まないこと、(4)正午以後に食事をとらないこと、(5)金銀財宝を蓄えないことの十戒(十善戒とも言う)を守らなければならなかった。

ある朝ブッダは、ベナレスの鹿園で座っていた。

すると、ヤサという若者が通りかかった。ヤサは裕福な家庭の者であった。しかし、ブッダの説法を聞くや否や、これまでの生涯に無益さを悟り、即座に仏教徒になることを願い出た。

ヤサの両親は息子の失踪に驚き、父親が捜しに出かけることになる。夕方近くになって、父親はブッダに出会った。

ブッダはヤサが僧になったことを告げ、父親にも説法を始めた。

その結果、父親は在家の仏教徒になることを決心する。

そして、ブッダを含め6人を食事に招待した。後々、信徒に歓待されたお礼として説法をするのが仏教僧の慣例となるが、おそらく、ヤサの父親の招待がこの習慣の始まりであろう。

食後、ブッダは居合わせた人々に説法した。

そこには、ヤサの母親と前妻もおり、54人のヤサの友人も居合わせた。

そして、かれらはすべて僧になりたいと申し出た。

ここで僧団は一挙に60人に膨れ上がるのである。

ブッダの45年間の布教活動は、雨季を除いて、北インド東インドをくまなく旅したのである。

ブッダ物語27 八正道

出家者が避けなければいけない両極端がある。

一つの極端は感情、愛欲のおもむくままに生活すること。

もう一つは、自分自身を痛めつける苦行である。

これらの二つはブッダが実際に経験したことであり、これらに変わる悟りへの実践が、八つの正しい道(八正道)である。

それは、正しい理解(正見)、正しい思考(正思)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意(正念)、正しい精神集中(正定)の八である。

正しい理解(正見):人生をあるがままに見ること。生存の本質を悟ること。

正しい思考(正思):清らかな心。

正しい言葉(正語):うそ、陰口、噂話などをしない。

正しい行為(正業):五つの戒め(五戒)に分けられる。それぞれ、否定的な側面と肯定的な側面がある。(1)殺生を禁じ、すべての生物を哀れむ【不殺生】(2)盗みを禁じ、布施を勧める【不偸盗】(3)性行為を禁じる【不邪淫】(4)正直、誠実を勧める【不妄語】(5)酒や麻薬を禁じる【不飲酒】

正しい生活(正命):仏教徒の理想は出家生活であり、物質に執着しない生活であり、たとえ家族や仕事上の責任があっても、その生活は出来るだけ質素にする。

正しい努力(正精進):気高い性質を養い、下品な性質を矯正する。これは四つの正しい努力に分けられる。(四正勤)(1)まだ生じない悪が生じないように勤める。(2)すでに生じた悪を除こうと勤める。(3)いまだ生じていない善が生じないように勤める。(4)すでに生じた善を増やすように勤める。

これにより、仏教徒は六の完成を獲得する(六波羅蜜)。それは、気前の良さ(布施)、戒律を守ること(持戒)、忍耐(忍辱)、絶え間ない実践(精進)、精神統一(禅定)、真実の智慧を得ること(智慧)である。

正しい注意(正念):重要なものを認識し、かつ惑わされないように、物事が見極められるよう心を鍛錬する。

これには、四つの観想法(四念住)と、悟りに向かう七つの助けとなるもの(七覚支)がある。

四つの観想法は、身体は不浄である(身念住)、感受は苦しみである(受念住)、心は無常である(心念住)、すべて存在するものにわれ(我)はない(法念住)を心に思い浮かべる観想法である。

悟りに向かう七つの助けとなるもの(七覚支)は、(1)注意集中して忘れないこと【念覚支】(2)教えの真偽を選択すること【択法覚支】(3)正しい教えを実践努力すること【精進覚支】(4)正しい教えを喜ぶこと【喜覚支】(5)身心が軽やかで快適なこと【軽安覚支】(6)瞑想し、精神集中すること【定覚支】(7)物事にとらわれないこと【捨覚支】である。

正しい精神集中(正定):八正道の最終段階で、瞑想の実践である。習い始めは、精神集中を助けるために数を数えたり、呪文を繰り返したり工夫をすれば良い。

瞑想を始める前に、取り除くか、少なくとも弱めておくべき五つの心的障害(五蓋)がある。

それは、貪り(貪欲蓋)、怒り(瞋恚蓋)、眠り込んだような無知蒙昧(惛眠蓋)、心配(掉悔蓋/じょうけ)、疑い(疑蓋)である。

 

ブッダ物語26 初転法輪、四聖諦

ブッダは布教活動をはじめた。

まず初めに、かつて師であるアーラーラ・カーラーマの元に向かった。

しかし、アーラーラ・カーラーマはすでにこの世にいなかった。

また、ラーマの弟子のウッダカも亡くなっていた。

ついに、ブッダは五人の友に会いに鹿野園(ろくやおん)に向かった。

彼らは、禁欲生活に我慢出来ず、安楽な生活の誘惑に負けたブッダを無視しようとした。

しかし、ブッダが彼らに近づくにつれ、彼らはブッダの変化に気づき始めた。

これまで見たことの無い彼の姿に彼らの敵意は知らず知らずのうちに消えていた。

そして、彼らは、ただちにブッダに挨拶に行き、一人が恭しくブッダの鉢と衣を取り、もうひとりは座席を整え、三人目は足を洗う水を急いで取りに行った。

その夜、ブッダは最初の説法を行った。

それは、真理の輪の回転(初転法輪、しょてん・ぽうりん)として知られている。

初転法輪の輪(チャクラ)とは、古代インドの武器の一種であり、転法輪(てんぽうりん)とは、仏教を広めることを、帝王が輪を転じて世界を制圧するのにたとえたものである。

まず、最初にブッダの教えの意味を完全に把握したのは、シッダールタが生まれた説きに彼の悟りを予言したコンダンニャであった。

五人の友人と合流したブッダは、二人の僧が托鉢に出かけている時は、残った二人に説法し、逆に三人が出かけている時は、残りの二人に教えを説いた。

そして、やがて、五人は完全に教えを修得した。

ブッダの教えの要点は、後に師から弟子へ口伝えに伝えられてきた。

それは、八つの正しい方法(八正道)、四つの真理(四聖諦)、五つの執着のあつまり(五蘊)などが中心的な教えであったとして伝えられている。

四つの真理の最初の三つは、ブッダ自身がかつて、王子の快適な生活から悟りの探求に臨んだ過程と対応している。

(1)人生は苦悩の海に満ちている。それは、病気、老い、死の自覚である。(苦しみの真理、苦諦)

(2)これらの苦悩の原因は、苦悩を引き起こす俗世間への執着、欲望である。(苦しみの原因の真理、集諦)

(3)したがって、苦悩を消滅する方法とは欲望を滅することである。(滅諦、苦しみの消滅の真理)

(4)この欲望を取り除く方法を明らかにする。それは八つの正しい方法(八正道)、あるいは中道と呼ばれる。(道諦、苦しみを取り除くための手立ての真理)

 

ブッダ物語25 四禅定、三明、最初の弟子

ブッダが悟りを得たときの瞑想の過程には四つの段階(四禅定)があったとされている。

第一は、欲望と不善を離れることにより、探求し、思惟しつつ、心を一点に集中する初善という段階である。

第二は、探求と、思惟という雑念を離れて、第二禅に入る。そこには、喜と楽とがあり、心の静けさと集中がある。

第三は、喜を捨てて、心が平等で集中された第三禅に入る。そこには、正しい注意と知識とがあり、身体に楽を感じる。

第四は、楽も苦も離れて、平等で、浄らか心の集中だけが残る。

その四つの瞑想の次には、三つの能力が得られた。

まず、過去を見通した。(宿命通)

次に、未来を見通した。(天眼通)

そして、最後に、すべての煩悩が尽き完全な智を得た。(漏尽通)

これらは、三明(さんみょう)と言われる三つの超人的な能力である。

ブッダは、もう生死を繰り返す輪廻の世界が終わったことを悟り、この喜びを七日間味わった後、シッダールタは、ブッダとして立ち現れた。

この時、神々や魔王まどもが、ブッダに花をまき散らし祝福したという神話や、

一人の傲慢なバラモンが通って、ブッダと対話した後、「フン、フン」と小馬鹿にしてその場を立ち去ったという最初の説法に失敗したという逸話もある。

最も有名な話は、梵天勧請(ぼんてん・かんじょう)である。

ブッダは、自分が悟った内容があまりにも絶妙で、他人に理解されないであろうと思い、このまま涅槃に入ろう、死んでしまおうと考えた。

それを知ったブラフマン梵天)をはじめとする神々は、ブッダに再三思い直すようお願いし、ブッダは説法を開始することを決意したと言われている。

このように躊躇(ちゅうちょ)した理由は、究極の真理は言葉では言い表せないという大乗仏教の「空」の思想につながるものとされている。

ブッダが悟ったすぐ後に、タップサとバッルカという二人の商人が通りかかり、菩提樹の下で座っているブッダを見て、二人は小麦粉と蜂蜜で作った食物を供養する。

食後ブッダは自身の体験を二人に話した。

そして、この二人がブッダの最初の在家の弟子となった。

この時、ブッダは35歳であった。