天台太子

聖徳太子と天台宗のお勉強

ブッダ物語37 侍者アーナンダ

僧団に加わった親族の中に、いとこのアーナンダがいる。

アーナンダは、後にブッダに、常に付き添った者であり、おそらく仏教史上もっともよく知られた弟子のひとりである。

出家後最初の二十年間、ブッダは特定の侍者をもたず、いろいろな者がブッダに仕えて、鉢や着替えの衣を持ち運んだ。

しかし、二つの事件がブッダに専属の侍者を持つことを決意させた。

 

その一つは、

ある日、ブッダは、ナーガサマーラという僧を伴って旅をしていた。

分かれ道にさしかかったとき、どちらの道を行くかで二人の意見が分かれた。

ナーガサマーラは、持っていたブッダの鉢と衣を地面に置くと、自分の選んだ道を進んで行った。

取り残されたブッダは、自分の持ち物を拾い上げて別の道を行った。

その後、ナーガサマーラは、不運にも強盗に遇い、鉢と衣を奪われ、頭を殴られる。

ナーガサマーラは、心中ブッダの言うことを通りにしなかったことを後悔しながら、ブッダに再会するのであった。

 

もう一つの事件は、ブッダがメーギアという僧を伴っていた時である。

二人がマンゴーの茂みのそばを通りかかったとき、メーギアはそこでしばらく瞑想したいと思い、鉢と衣をブッダに渡した。

ブッダは瞑想にふさわしい時ではないと申し出たが、メーギアは聞き入れなかった。

しばらくして、メーギアは、ブッダのところへもどり、彼は十分精神集中することができず、時間の無駄であったことを認めた。

 

このメーギアとの逸話が、ブッダが瞑想に必要不可欠な静けさや精神集中のための諸要素を定義する絶好の機会となった。

ブッダは、瞑想にとって必要な五つの要素を確定した。

(1)悟りのへの道に向かうことに円熟したの先輩たちと交わること。

(2)五つの感覚器官(目・耳・鼻。舌・皮膚・心)の抑制。

(3)感情が荒ぶる事から離れ、正しい言葉を用いる(正語)ことの実践。

(4)悟りに向かって勤め励むこと(正精進)の実践。

(5)人生は苦であるという真理(苦諦)を見極めること。

 

また、ブッダが侍者をつけた理由に、自身の年齢がすでに五十五歳を過ぎていたという問題もある。

 

ブッダは、ジェータヴァナ僧院に滞在中、侍者を任命したいという意向を明らかにした。

そこで、二大弟子のシャーリプトラとモッガラーナが「お仕え致します」と申し出た。

しかし、ブッダは、彼らの果たしている教団での役割は重要なので、それを犠牲にすることは出来ないと断った。

他の者も申し出たが、同じように断れた。

そして、最後にアーナンダの名前が挙げられた。

アーナンダは、ブッダの父スッドーダナ王の弟であるアミトーダナの息子であった。

アーナンダという名は「喜び」を意味する。

ブッダが故郷を訪れた時、サキャ族(釈迦族)の他の王子とともに、アーナンダも僧団に加わった。

アーナンダは、任命されてからブッダに献身的に尽くし、いつもブッダのそばを離れなかった。

 

ところで、経典によると、アーナダはあまりにも献身的であったために、瞑想の時間を十分とれず、ブッダの存命中には悟りに達していなかったという。

そして、アーナンダはブッダの死後はじめて悟りをひらくのであった。

アーナンダは寝台から飛び降りる瞬間に悟りをひらいたとされている。

五百人の聖者がブッダの教えを読誦し、後世のために記録する最初の集会(第一結集)がブッダの死後、数ヶ月後に開かれたが、アーナンダはそこで首尾良く活躍するのである。

ブッダ物語36 息子ラーフラ

ブッダのカピラヴァストゥ訪問中に家族の中から出たもう一人の有名な帰依者に息子のラーフラがいた。

彼は、ブッダが家を出たちょうどその時生まれた子である。

今や、七歳になるラーフラは、母ヤソーダラに、父ブッダが放棄した遺産を確保するために、近づこうと考えた。

ブッダが到着して、七日目に、ヤソーダラは、ラーフラブッダが食事をしているところに連れて行った。

彼女はラーフラに、「父上、私が王子です。即位する時、私は王中の王になりたく思います。私に財産を譲って下さい。父親のものは当然息子のものです」と言いなさいと教えた。

ラーフラは、言われた通り、ブッダに伝えた。

ブッダはそれに答えなかったが、歩きながら考えた。

「この子は、私の財産を望んでいるが、それは俗世のもの、苦悩の種にすぎない。

そんなものよりずっとすばらしい財産、私が菩提樹の下で得た、七つの財産を与えよう。」と考えた。

そして、僧院に着いた時、ブッダはシャーリプトラに、ラーフラを正式の僧にするよう依頼した。

その知らせは、長年苦しみ悩んでいたスッドーダナ王に、さらに追い打ちをかけた。

王はブッダのところへ行き、今後は、両親の許可なしに子供たちを僧にしないよう強く懇願した。

ナンダが出家し、そして、ラーフラまでも僧になってしまったからである。

ブッダはその訴えを聞き入れ、その後は、両親か保護者の承諾なしには誰も僧団に加わることを許さなかった。

後になって、僧団に加わるための条件として、妻の承諾が付け加えられる。

ある時、ブッダラーフラにこう質問した。

ラーフラよ。鏡は何のためにあると思いますか」

「自分を映すためです」

「よろしい。その通り。身体による行い、言葉による行い、心による行いも、鏡に自分を映し出すものだといつも考えなさい」

と、父が子に教えるように。

ブッダ物語35 カーストの問題2 義弟ナンダ王子

もう一つの話は、スニータという不可触民にまつわるものである。

彼の仕事は道路の清掃であり、これによって辛うじて生計を立てていた。

適当なねぐらもなく、スニータは自分が働く道ばたで寝泊まりしていた。

また、たまたま通りがかる身分の高いカーストの人たちを汚さないように、常に注意しなければならなかった。

そうしないと、厳しいむち打ちの刑が待っているからである。

ある日、忙しく道路を掃いていると、ブッダが大勢のお供をつれてやって来た。

スニータはすぐに隠れようとしたが、間に合わず次の策をこうじた。

つまり、壁にピタリと体をつけ合掌したのである。

どころが、ブッダは彼の元へ真っ直ぐ向かってきた。

そして、ブッダは、優しく彼に語りかけ、入団を勧めたという。

このように、カーストなどの身分に関係なく入団を認めたのが、当時のブッダ教団の特徴である。

スッドーダナ王は、ブッダがラージャガハに滞在しているのを知り、使者を送り、故郷のカピラヴァストゥを訪れて教えを説くようブッダを招待した。

しかし、九度にわたる使者は、呼び戻すどころか、そのまま全員僧団に加わってしまった。

ついに、王は、シッダールタの幼なじみ、カールダーインに派遣した。

これには、さすがにブッダも耳を傾け、7年ぶりにカピラヴァストゥに帰省することとなった。

シッダールタの義弟に、ナンダ王子がいた

その頃、スッドーダナ王は、彼に後を継がせる望みを抱いていた。

ナンダは三十五歳になり、王女との結婚を取り決めていた。

しかし、その結婚式で、彼は、ブッダに僧にならないかとたずねられ、僧侶になってしまった。

結婚式当時に出家したナンダは、苦行の生活になかなか馴染めなかった。

彼は、残してきた美しい花嫁のことで頭がいっぱいであったからである。

ナンダは、いつも美しい衣をまとい、上品な鉢を持って、托鉢に出かけた。

仲間はそのような彼を気遣い、ついにブッダがこの問題の解決にあたることとなった。

ブッダは丁寧に彼をさとし、徐々に俗世への関心、特に美しい妻への憧れから彼を引き離した。

そして、ナンダは立派な弟子となったのである。

 

ブッダ物語34 カーストの問題

ウパーリやプンナと違って、僧団に加わった多くの者は貧しい下層階級の出身であった。

なかでもアウトカーストは、もっともの貧しく、下級であった。

彼らは、最上層階級のバラモンに近寄ることは固く禁じられていた。

今日でも、アウトカーストである不可触民(ふかしょくみん)の影が指すだけで汚れたと考える因襲的なバラモンもいる。

そのようなことをよく示している次の様な逸話がある。

ブッダがサーヴァッティに滞在する間、従者のひとりアーナンダは、毎日町に乞食に出かけていった。

ある日、彼が僧団に戻る途中、井戸から水を汲んでいる少女を見かけて、水を飲ませてくれるように頼んだ。

少女は、不可触民の中でも最下層に属していた。

娘は「私は身分の低い者です。私には水を差し上げる資格はございません。」と言って断った。

アーナンダ「娘さん。私はあなたの家族やカーストのことをたずねているのではありません。カーストなど気にしませんから、水があれば、どうか少し分けて下さい。」とアーナンダは言った。

そこで、プラクリティというその娘は、アーナンダに水を与え、彼のことをすっかり好きになってしまった。

この話には続きがあり、プラクリティは母親が用意した魔法のほれ薬の助けを借りて、アーナンダに結婚を迫ろうとする。

アーナンダは、一時、彼女にたいへん心を引かれるが、ブッダが奇跡的に介入して救われるのであった。

しかし、プラクリティの恋心は鎮まらなかった。

そこで、ブッダは彼女を呼び寄せ、うわべは、彼女の期待に味方する振りをして教えを説いた。

ついに、プラクリティはアーナンダに対する気持ちを捨て、尼僧として僧団に加わる決心をする。

そして、熱心な信徒になったという。

ブッダが、不可触民の少女を尼僧にしたというニュースは、バラモンをはじめとするサーヴァッティの市民達を驚かせ、心配させた。

そして、彼らは、パセーナディ王に抗議した。

王は、それに応じて、バラモンやクシャトリアたちを引き連れてブッダに会いに出かけた。

そこで、ブッダは、トリシャンクという不可触民指導者の話をした。

彼には、シャールドゥラカルナという学問をつんだ息子がいた。

親として誇りと野心から、トリシャンクは、息子をプシュカラサーリンという名門のバラモンの娘と結婚させようと考えた。

もちろん、バラモンはその申し出を拒否した。

そこで、トリシャンクは、カースト制度が正しいかどうかを彼と議論した。

そして、異なった種に属する動物や植物に見られるような先天的な相違が、カーストの人たちだけにあるわけではないと、トリシャンクは論じた。

さらに、カーストと輪廻や業の教えを結びつけるのは間違っていると論証した。

バラモンは彼の議論に感銘し、ついに結婚に同意したという。

この話を聞いて、人びとの多くは簡単に納得したとは思われない。

なぜなら、現在もこのような差別は続いているからである。

このような、差別はブッダの時代から今の続いているという。

ブッダ物語33 ウパーリとプンナ

ブッダの教えに帰依する者には、いろいろな経歴を持ち、あらゆる環境からやって来た。

当時の人びとの目に映ったもっとも著名な帰依者のひとりは、ウパーリ(優波離)であった。

ブッダの時代と同じころ、ジャイナ教の教祖マハーヴィーラがいた。

ジャイナ教は、どんな生きものも傷つけない不殺生(アヒンサー)主義を厳格に守ることであった。

ウパーリはそのマハーヴィーラの高弟であった。

ブッダがナーランダーの近くに滞在していたとき、ウパーリはブッダの説法を聞く聴衆の中にいた。

彼は、とても感銘を受け、ただちに弟子になりたいと申し出た。

彼のような人物を信者として迎えることは、まるで、政治の大臣が野党に加わるようなものであり、ブッダの側近で、政治に感心のあるものは、興奮したに違いない。

しかし、ブッダはそういった考えに感心せず、ウパーリを歓迎するどころか、早まった決断をしないように注意した。

ウパーリは自分の名声にあまり謙虚でなく、ブッダのその反応に驚いたが、そのことで、なおいっそうその決意を固くした。

もう一人の劇的な帰依者は、後に熱心な布教者となったプンナ(富樓那)である。

プンナは、スナーパランタ島出身の商人であった。

ブッダがサーヴァッティイのジェータヴァナ僧院に滞在していたある日、プンナはこの町に隊商を組んでやって来た。一日の仕事を終え休んでいると、大勢の人が僧院のほうへ行くのを見かけた。

なぜ僧院に行くのかをたずねると、ブッダの教えを聞きに行くのだという答えが返ってきた。

彼の人生を変えたのはこの単なる好奇心からである。

そして、彼は、ブッダの説法を一度聞いただけで、現金もこれから売る商品もすべて他の者に譲って正式な僧となった。

次にブッダとプンナとの有名な会話がある。

プンナはブッダの教えを弘めるため故郷へ帰る許しを請うた。

ブッダ「スナーパランタ島は未開で、野蛮な種族が住んでいる。彼らは残酷だ。また、他人をののしり困らせる。もし、ののしられたり、困らされたりしたら、君はどう思うか。」

プンナ「スナーパランタの人びとは善良で、紳士的な人だと思います。少なくとも私を殴ったり、泥を投げたりしません。」

ブッダ「もし、君を殴ったり、泥を投げたりしたらどうする。」

プンナ「善良で、紳士的な人だと思います。少なくとも、私をこん棒や、刀で襲ったりしないからです」

ブッダ「しかし、君をこん棒や、刀で襲ったりしたら、どうか。」

プンナ「それでも、善良で、紳士的な人だと思います。少なくとも、私の命を奪おうとしないからです。」

ブッダ「しかし、もし殺されたらどうか。」

プンナ「それでも、善良で、紳士的な人だと思います。というのは、この腐った屍(しかばね)のような肉体から、私を解放してくれるからです。私にしてくれたことに、感謝しなければなりません。」

ここで、ブッダはプンナの願いを聞き入れ、優しい言葉で彼を送り出した。

「プンナよ。君はこの上ないやさしさと、忍耐力が備わっている。スナーパランタへ行って住みなさい。

そして、君と同じように自由になるには、どの様にしたらいいかを、人びとに教えなさい。」

プンナは故郷へ帰り、最初の雨季が終わるまで、そこで五百人の弟子を集めたと言われている。

ブッダ物語32 祇園精舎

竹林精舎に六十戸の家を建てた商人の妹は、アナータピンディカという男に嫁いでいた。

アナータピンディカが、たまたま仕事でラージャガハにやって来た時、たいへんな騒ぎの最中であった。

料理人や召使いは、見るからに重要そうな行動をしており、準備に夢中で誰も彼の相手をしなかった。

彼は、この扱いに少し腹を立てた。

「私が来ると、いつも義兄さんは何もかもやめて歓迎してくれるのに。今日は、何か重要な宴会でもあるのだろうか。」

やがて、準備の指示を終えた商人は、やっとアナータピンディカに挨拶をしにやってきた。

そしてこの大騒ぎの理由を彼に話した。

この騒ぎは、ブッダ僧団を食事に招く準備だったのである。

それを聞いたアナータピンディカは、すぐに好奇心に駆られて、翌朝ブッダに会いに行くために、竹林精舎に向かった。

ブッダは外を散歩しており、アナータピンディカがやって来るのを見ると、

「いらっしゃい、スダッタ」

とだけ言った。スダッタとは、アナータピンディカの本名である。

親しく名前を呼ばれたの驚き、そして喜んだスダッタは、ブッダの足元にひれ伏し、在家の仏弟子となった。

スダッタは、サーヴァッティーという町に住んでいたが、今後、雨季の間はそこに滞在してもらうようブッダを招待した。

ブッダは、これに同意した。

サーヴァッティーに戻ると、スダッタは、どこかブッダたちが宿泊できる場所はないかと探し始めた。

そして、ついに理想的な場所を見つけた。

それは、ジェータ王子が所有する遊園であった。

王子は、スダッタに高い代価を要求した。

つまり、その園にじゅうたんのように金貨を敷き詰めれば売ろうというのである。

スダッタは、金貨を荷台に積んで遊園に持って来させた。

すべての金貨を遊園に敷き詰めたところ、門の近くに小さな空間が残ってしまった。

スダッタは、もっと金貨を持ってくるように召使いに言った。

さすがに、ジェータ王子も、これは普通の取引ではないことに気づき、残りの土地を寄贈した。

そして、王子は、そこに楼門を建てさせた。

一方、スダッタは僧団の為の住居などの施設を建てた。

これが、ジェータヴァナ僧院、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)である。

漢訳では祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくえん)と呼ばれる。

これは、祇陀(ジェータ)王子の樹苑で、給孤独(アナーピンディカ)の園という意味である。